ドラマ「エトロフは遥かなり」の原書にみる
―駅逓の周辺を探る―
佐々木譲著「エトロフ発緊急電」という題名の小説がある。読んだことのない人でも、これを題材にしたテレビドラマ、沢口靖子主演「エトロフは遥かなり」は観た人が多いであろう。
舞台は、エトロフ島と東京を中心とする本州との2つに分かれて展開するが、エトロフ側は灯舞(とうまい)駅逓が中心である。時は、日米開戦前後である。
主人公の岡谷ゆきは、エトロフ島出身、同島ヒリカップ湾に面した漁村、灯舞駅逓取扱人の娘として生まれた。
本稿は物語の紹介を目的とするものではないが、この小説には、駅逓に関する種々の問題が内在し、特に、昭和初期における駅逓の現状、旅行者の動き等が記述されていて当時の駅逓の置かれている環境がよく分かるので、これを取り上げて、具体的に解析しようと思うのである。
灯舞周辺には、天寧・留別・年萌・内保等の駅逓が登場するが、まずここで、エトロフ島の位置を確認しておくと、千島列島の南部、本道の野付半島から海上を北東へ150キロの地点にある。本道側からすると千島列島2つ目の、列島中最大の島であり、同島には、一番多い時期で16か所の駅逓所があった。
灯舞周辺の駅逓はいずれも実名で登場するが、灯舞だけは実在しない架空の名称である。知る人もあろうと思うが、ドラマでは、根室支庁管内別海町所在の奥行臼(おくゆきうす)駅逓が、灯舞駅逓に代って登場していて、同駅逓には、現在でも、ドラマ撮影時使用の灯舞駅逓所名による、「宿泊料金表」が掲示されているほか、当時の小道具類が展示されている。
灯舞駅逓に話を戻すと、同駅逓は、ゆきの伯父伝二郎が取扱人をし、かたわら雑貨店を経営していた。駅逓は、宿泊と継立の双方を営業して、継立用として官馬12頭、私馬30頭を所有し、駅舎には、宿泊用の部屋8つ、16人の旅行者を泊めることができるとしている。駅逓の運営はクリル人の宣造が一切を取り仕切り、ゆきは帳簿のみを担当していた。
さて、灯舞駅逓取扱人の伝二郎死亡後、初七日がすむと、ゆきが駅逓取扱人を相続することとなり、灯舞から約30キロ離れた留別村役場にその手続きに赴いた。留別は、馬で7時間の地点にあり、途中、年萌で駅馬を乗り継いだ。ゆきは、当時24歳であった。
留別駅逓で一泊、その翌日、役場に行き事務手続きをすませ、ゆきはここで正式に官設駅逓取扱人になった。(筆者注・手続きをすませると、即、駅逓取扱人になったとは思われず、支庁の採用手続きを経て、道庁長官の任命手続きが必要であるが、小説はこの点省略されている。)
当時の宿泊利用者はどのような職種の人達であったであろうか。同誌によると、公務員・行商人・島内の漁場人足等であり、時には、大学の研究者・登山家・自然愛好家等が宿泊したという。荷物は、方々の漁場へ運ぶ日用品・漁場関係品が多く、(ヒリカップ湾に陸揚げしたのであろう。)差出元は本州からのものが太宗を占めた。
灯舞駅逓ではこれを数頭の駄馬に振り分けて積み、次の駅逓を目指すのであるが、商人達は10頭、20頭分の荷を駄馬に積んで行くのが普通であった。それで、多数の馬が必要であり、宣造がつど裏山の牧場に放牧されている馬を集めてきて使役していた。
ゆきが駅逓取扱人に就任したが、女性が取扱人に採用されることは、拙著「北海道宿駅(駅逓)制の研究」(下巻)に詳述してあるので、この点は、同誌に譲るとして女性取扱人の任用は、千島列島ではこれが最初のことである。(千島では、前後を通じて2名の女性が取扱人に就任している。)
前述のとおり灯舞という駅逓はエトロフ島内には存在せず、小説上においては、他の駅逓名が実名であるのに対し灯舞のみ架空の名称が使用されている。では、灯舞をモデルとする実在の駅逓があるのであろうか。これを解明するのも興味があるので、取り上げて見ることにする。
小説上に、実名で出てこない駅逓は、入里節(いりりぶし)とグヤの2か所である。この2か所のうち女性取扱人が実在したのは入里節駅逓であるが、この経歴を私の手持ち資料で調べてみると、明治28年11月開設、終戦時ソ連により接収される。この間の駅逓取扱人は@杉本二助、A杉本与四郎、B杉本キヨ、C大柳栄三郎の順で任用されている。
キヨは、大正4年2月1日任用、昭和14年5月29日解任、四代大柳栄三郎に引き継ぐ、とあって、小説上ではBとCが入れ替わっているようである。これは小説の筋書き上、キヨと栄三郎の存在を逆にした方が面白くなると見たのであろうか。いずれにしても、この推測から灯舞駅逓は入里節駅逓であると推定したがいかがであろう。
疑問が残るのは、灯舞から役場所在地の留別までは30キロの距離にあると記述されているが、実際には、約16里(60キロ)となり、小説上の距離の約2倍になっている。また、灯舞駅逓の駅舎客室は、8部屋、16人収容とあるが、入里節の部屋数は明らかでないものの、広さは47、5坪であり、坪数からみて同程度の客室があったものと解される。
拙著「北海道宿駅(駅逓)制の研究」においては、法制上の解析、上意下達の問題に紙面をとられ、現地における駅逓所の管理運営、旅行者の利用状況等の掘下げが十分でなかったと認められたこともあって、今回、この点を補完する意味で、この小説を取り上げたのである。