時評[16]
官尊民卑から脱し切れない郵便創業
ー郵便局長の給料は玄米5合ー
封建時代から一挙、文明開化の明治に入って、武士はすべて廃業の憂き目に遭い、また庶民も目まぐるしい変化に戸惑いの毎日であった。そのような時代において、新しい制度も次々と導入され、その恩恵に浴したのも事実であった。
その一つに郵便制度がある。しかし、制度施行に当たって、余りにも急激な変化に十分理解できず、早合点して種々の問題を起すこともあった。また、現代になってみると理解し難い施策もあった。
そのエピソードの2、3を紹介してみよう。
1 郵便料金は税金である
郵便創業は、明治4年3月(旧暦)であるが、郵便事業の創始、推進に当たっては現代人には想像もつかない、旧来の弊習からの脱却があった。
郵便料金といえば、現代人であれば誰でもが知っていることであるが、創業時には、郵便賃銭と称していた。創業者・前島密は、自伝「創業談」の中で、次のように言っている。
「郵便料金は、国がこれを独占して法を制して其金額を課すのであるから矢張り一種の税であると思ったので料金とか賃というのは民間営業上に在ることで、政府がそうゆうことをすると威厳を損するとの論者もあり、地方で取扱役(注、郵便局長)となる人も門地のある紳士などは官務を執るのは、栄誉であるが賃銭を取るというのは卑賤の者のする事だというのである」。
郵便料金という語句に馴染んだ現代人にすると「賃銭から税金」に変っても、税金という表現に、むしろ違和感を感ずるが、これも時代感覚の所為か。
2 郵便取扱役の給与は米で
前島は、郵便創業に当たって郵便取扱人を地元の有力者とか資産家から選んだが、その任命に当たって、次のような考え方で行ったという。
「初め、取扱役と称した地方の局長は、相当の資産のある紳士…」と、いうわけで地元の資産家で、人品卑しからざる人物でないと郵便局長に選任されなかったのである、よって「封建時代では藩侯から一人扶持、すなわち、玄米5合の日給を貰っても栄誉であったのが、まして、朝廷から給与されるのであるから無比の大栄誉である」といい、かつ、給与は「何等給何口米」という辞令で、一番少ない取扱役で1口米であった。それでも当時は余り卑しくない品位であった。
なお、1口米は、現金に換算して50銭、玄米5合に当たるが給与に当たっては、玄米で支給せず、現金に替えて支給したのであった。
3 そこのけ、そこのけ郵便脚夫が通る
過日、某氏から青森県史のコピーを頂戴した。その中に、明治7年12月、県庁から県下に達した布令が出ている。
この布令の内容は、次のようなものであった。
「郵便脚夫飛行ノ節、人馬妨害不相成様左ノ通リ布令候事
当県管下諸道郵便脚夫往復ノ際、積雪或ハ悪路ニ罹リ人馬道路ヲ主閑チ夫カ為メニ脚夫空ノ時間ヲ費シ不容易不都合ヲ醸シ候付尓後郵便脚夫飛行ノ節ハ人馬共道路ニ片寄妨害不相成様至行為致方万一心得違ノ者有之候ハゝ屹度可申付候事」。
郵便脚夫にとって積雪の路を通行するのはその地に住む者でないと分からない苦痛である。
特に、積雪路は、人、1人がやっとという道路上において人馬と行き交う場合には、どちらが優先通行するかは大きな問題である。
この場合、時間を切って運送が義務付けられている郵便脚夫にとって都度、時間を空費し遅延が心配されるのである。
そこで、上の布令になったものであるが、この布令によって住民が通行中、郵便脚夫と行き合ったさいには、住民側が道路の片側に避け、脚夫を優先通行させること、というのである。現代においては官業横暴と問題になることは明らかである。
「駅逓情報」第52号(2006/10/5)掲載